おはようございます!ダブリン在住の21期生・早川健治氏の寄稿です。ありがとうございます。昨日に続いて、ジェイムス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』についての紹介をお楽しみください。
夜の小説と夢の世界~『フィネガンズ・ウェイク』を読むということ(2)
(1)ではジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を巡る言説や『ウェイク』を読む方法の一例を紹介した。今回は『ウェイク』が現代文学や現代の読者にとってもっている可能性について少しお話させていただきたい。
私は『フィネガンズ・ウェイク』を新しい文学の出発点として読んでいる……と書くと何だか大それたことのように思えるかもしれないが、「夜の小説」が「新しい」のは私たちの今の文化が偶然そうさせているにすぎない。そもそも、私たちは朝に目が覚めてから夜に眠りに落ちるまでに起きるものごとにばかり興味をもちすぎており、眠りに落ちた後に起きるものごとをあまりにもないがしろにしてはいまいか。夜の世界や夢の世界を舞台とした小説を書くならば、日中に目の覚めきった読者の意識には理解できないような文体、要するに『ウェイク』のような文体を選ぶのはむしろ必然的だ。
『ウェイク』の創作の手法は以下の通り。
まず、モチーフを選ぶ―「川辺で二人の女が洗濯をする」「子どもたちが数学の授業を受ける」「バイキングの船長が宴をする」「アイリッシュパブでクイズ大会」等々というように。
次に、このモチーフについての簡単な描写をする。それは20行~30行程度で良い。
ここまでは普通の小説と一緒だが、ここから「夜の創作」が始まる。20行~30行程度の描写の一行一行をなるべく複雑化しつつ反復していくのだ。英語で書かれた言葉をイタリア語の同義語と混ぜたり、Aを意味する言葉をBという意味の同音の言葉と混ぜたり、肯定形の表現に否定を混ぜたり、眠りや夜を示唆する言葉をアトランダムに混ぜ込んだり…… この手順を繰り返し、文章が日中の読者の感覚では意味が掴み取れないほどぐちゃぐちゃになったら完成だ。
この手法が適切である理由は、夢の特徴や役割に注目すればはっきりする。
夢をみているとき、私たちは往々にして強烈な感情や感覚に意識を支配され、日中のどんな妄想も敵わないような刺激的なイメージ群に心を奪われる。そのような夢の末に朝を迎えると、早速ベッドから飛び出て他の人たちに夢を伝えようとするが、思いのほか難しく、どんな言葉を使ってみてもなぜかうまくいかない。そうこうしているうちに、あれほど鮮明だったはずの夢もどんどん意識から遠のいてゆき、しまいには無意識の川へと流れ出ていってしまう。
つまり日中の言葉は夢の表現に向いていないのだ。
さらに科学的な視点から考えてみると、夢には「記憶の圧縮と整理」「脳の認知能力のテスト」という役割がある。(これは人工知能研究者のジェフリー・ヒントンの仮説だ)。夢をみているときにはアドレナリンの分泌が一旦停止され、脳は普段ならば緊張しすぎて向き合えないような経験を意図的に生成し、情報処理能力を鍛えたり、日中に体験したものごとを圧縮して保存したりしているのだ。夢の世界を表現するうえで、日中では耳にしないような高い情報量をもったぐちゃぐちゃの造語を使う理由もこれではっきりするだろう。
夜の世界を小説にするのは面白そうだ。手法もわりとはっきりしている。文体の根拠もある。では、なぜ『ウェイク』のような小説はその後ほぼ全く書かれてこなかったのだろうか。
一つ個人的な話をすると、2015年から2019年までの四年間、ダブリンのスウィーニー薬局という『ユリシーズ』に登場する薬局で毎週日曜日に『フィネガンズ・ウェイク』の公開読書会のまとめ役をやらせてもらったことがある。毎週、観光客やダブリンの地元の人たちが(ほとんどの場合興味本位で)参加し、『ウェイク』から数ページ音読するのだが、私の記憶では心から『ウェイク』を楽しんで読んだ参加者はほんの一握りしかいなかったように思う。『ウェイク』を口頭で紹介すると決まって「それは面白そうだ、どれどれ読んでみよう……」となるのだが、いざ本を開いてみると魔法が解けてしまい、読書会の最後には「面白かったけど、私には少し難しすぎたかもしれない」というような感想をつぶやく。それはそれで一つの読書体験であり、そうやって普段ならば読まないようなテキストを声に出して読んで身体の中に入れるのも良いことではある。
しかし現代の市場に出回っている文学や小説が読者の嗜好を『ウェイク』にスッと入って行けないような方向へ操作しているというのも少し悲しい事実として認めざるを得ない。『ウェイク』は書くのも読むのもそれほど難しくなくてよいはずの作品だが、今の私たちの文化や社会の状況がこれを難しくさせている。
幸いにも、柳瀬尚紀による日本語訳は視覚的にも聴覚的にも豊かなテキストであり、一語ごとに強烈な身体的感覚やイメージ群が立ち上がってくる。
ある意味ジョイスの原文よりも一段と楽しい読書ができる作品に仕上がっているとさえ言える。
『ウェイク』は一人で読んでもよいのだが、やはり本書の醍醐味を知るには数名が集まって声に出して読み、感じたことを共有し合うという方法が一番良いと私は思う。文学や小説に関する嗜好や先入観が凝り固まらないうちに、オフライン・オンライン問わずそのような自由な読書の場を作り、ぜひ『ウェイク』を読書仲間たちと一緒にじっくり読んでみていただきたい。
「夜の小説」の執筆にも挑戦してみてはいかがだろうか。きっと夢のような作品が生まれるだろう。