2020年9月30日水曜日

鐘を鳴らす

おはようございます!本日は、敗戦後の暗い世の中にひとときの希望の灯りを灯した、戦争孤児を描いたNHKラジオドラマ『鐘の鳴る丘』を基にしたフィクションです。このラジオドラマの制作過程でのやりとり、戦後2年目の「新しい時代」となった子どもや大人の人間模様、世相を巧みに描いています。ご一読ください。

『鐘を鳴らす子供たち』 古内一絵/著 小峰書店

敗戦後、教科書に墨を塗らされた良仁たちは、大人が起こした戦争にふり回された子どもです。同時に大人たちもまた、自分たちの起こした戦争に、深く傷つきさいなまれていました。だからこそ、大人と子どもが一緒になって作り上げた『鐘の鳴る丘』は、あんなにも圧倒的に、世間に受け入れられたのです。『鐘の鳴る丘』は、大勢の人にとって、自分たちの物語でした。

小6の良仁は、学校の菅原先生の訪問を受け放送劇に出るよう誘われます。親友で町に一軒しかない医者の息子祐介。菅原先生が顧問をつとめる演劇部「小鳩会」の勝、世津子、演劇に心酔する実秋、5年生の都も出演します。そして、戦争で父親を亡くし幼い妹の面倒を見るため闇市にも出入りする将太、馬方の息子の孝も。

制作は、学校では菅原先生、演技指導の重子先生、スタジオでは2人の見守る中、脚本家の菊井(菊田一夫)、演出家の牛山、音響ナベさん、ハモンドオルガンを弾く音楽担当の古坂先生(古関祐而←NHK朝ドラ「エール」の主人公・古山裕一のモデル)らにより進められていきます。

大人の世界を知る将太は、生きるために収録のNHKの会議室で大人の吸ったたばこの吸い殻集めをしたりします。良仁、祐介は、日ごろ演技は「気持ち」が大切と言う実秋の誘いに乗り、演技の参考にと、本当の戦争孤児を見に将太の案内で上野に出かけ、孤児たちの実態に驚愕します。

支える大人たちも、戦時下教育の陰を引きずる菅原先生、脚本の菊井、音楽の古坂も戦争協力の活動を問い返します。姉を原爆で失った演技指導の重子先生は、後に、姉の見舞いで広島を訪れたことから病を発症します。

初めに「ひどい滑舌」といわれた子どもたちですが、毎日重子先生の特訓を受け個人差はあっても上達していきます。そして、子どもと大人が一緒に作り上げた『鐘の鳴る丘』は圧倒的に世間に認められました。

人気を博した彼らは戦争孤児の施設を慰問訪問します。ここで孤児の光彦から、彼らの演ずる『鐘の鳴る丘』の戦争孤児の姿は全て「嘘」だと突きつけられます。このとき脚本家の菊井は、光彦が欲しがった万年筆を彼に渡し「それで、君の物語を書きなさい」と告げます。

光彦の言葉で声が出なくなる実秋、彼がいないと公開放送もできません。重子先生や仲間の励ましで何とか当日を迎えましたが、舞台で我を失う実秋、台本を無視し即興で演技する将太や仲間たち。・・・そんな彼らが20数年経過し、著名になった菊井の葬儀で過ぎ去った過去を思い起こします。・・・

「〽緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴ります キンコンカン メイメイ仔山羊も 鳴いてます…… 」。

この元気な子どもたちの歌声と共に、一斉を風靡した伝説のラジオドラマ『鐘の鳴る丘』。

本書は、戦後日本を象徴する大ヒットドラマ『鐘の鳴る丘』をモチーフに、突如ラジオドラマに出演することになった子どもたちと、自分たちが起こした戦争への後悔に苛まれた大人たちが、力を合わせ生きていく姿を描いた物語です。 

2020年9月29日火曜日

ナチスの占領下で

おはようございます!本日は、ナチス占領下にユダヤ人の子どもたちを救った羊飼いの少年の物語です。ご一読、ください。

『アーニャは、きっと来る』マイケル・モーパーゴ/作 評論社

1942年、第二次世界大戦さなかのフランス。ピレネー山脈の麓に佇む小さな村に住む少年・ジョーは、生活の大半を羊飼いとして平和な日常を送っていました。

しかし、彼は、ある日、自分の家の牧羊犬を救ってもらったことから、ナチスの迫害から逃れてきて、娘・アーニャを待ちながらユダヤ人の子どもたちを集めて村近くの国境を越えさせようとしている男、ユダヤ人・ベンジャミンと知り合います。

ジョーは、12人の子どもたちを山の向こうのスペインに逃す救出作戦に協力することになります。

そんな中、ついにのどかな村にもナチスがやって来ました。村がナチスに占領される中、ジョーは自分の家族や友人、ユダヤ人、ドイツ兵らとのかかわりの中で、様々な気付きを得て彼らの境遇や人生を垣間見ます。

ドイツの労働収容所から帰国したジョーの父親は荒れていましたが、ジョーのユダヤ人救出作戦への関与が明らかになると協力を約束します。

ところが、村人たち一丸となって子どもたちを逃す日が迫って来ますが、ベンジャミンが待つ娘・アーニャが来ません。救出作戦は成功するのか…アーニャは村に現れるのか。

・・・ユダヤ人の迫害や救出劇をめぐって、人々の連帯感や思いやり、生命の尊厳など様々なこと学び、ジョーは大人へと一歩ずつ近づいていきます。

本書は、少年の視点から、村の人々やドイツ兵の個性と、戦争がどう人の心を壊していくのか、ホロコーストとは何なのか、本当の正義とは何なのか・・・を問いかけてきます。

羊飼いの少年が、ナチスの占領下に学んだ生きる喜びと希望が描かれています。

2020年9月28日月曜日

セント・キルダの子

おはようございます!今日は、〈世界のはての島〉「世界遺産の島」に、かつてあった人々のくらし。きびしくも美しい自然と、失われた文化を伝える美しい絵本です。

『セント・キルダの子』ベス・ウォーターズ文・絵、岩波書店

スコットランドの北西、セント・キルダ諸島。荒れる海に囲まれ、〈世界のはての島〉と呼ばれるこの場所で、人々は生きるための工夫をこらし、独自の文化を作り上げてきました。しかしそんなくらしは、1930年を最後に失われてしまいます。

本書は、自然へのおどろきと、その島で過ごしたなつかしい日々を、5歳で島をはなれた少年の目をとおして描いたものです。

そこは、北大西洋に浮かぶ小さな島で、何百年にもわたって自給自足のくらしをおくり、独自の文化を守ってきた人たちがいました。彼らが島をはなれなければならなかったのは、外の社会とつながりをもちはじめたからです……。

セント・キルダには少なくとも2000年間、人が暮らしてきた歴史がありましたが、人口はおそらく180人を超えることはありませんでした。(1851年以降は100人を切りました)。1930年、4島のうち唯一の有人島であったヒルタから住民全体が避難しました。夏のあいだは科学者たちや保全作業員、ボランティアがやってくるものの、現在、唯一1年を通じて島に暮らすのは、防衛担当者だけとなっています

群島全体を所有するのはナショナル・トラスト・フォー・スコットランドです。1986年、スコットランドに5箇所あるUNESCO世界遺産の1つとなり、セント・キルダはその自然と文化資質のため、世界でも数少ない地位を保持しています。

島の立地や自然、人々のくらしぶり、文明との軋轢、島民たちが離島にいたる経緯、少年のその後が、絵と簡潔な文章で描かれています。

大胆な色使いと構図が、荒れた海に浮かぶ島々の神々しさをとらえ、モノプリント版画の素朴でやわらかいタッチが、きびしい自然の中で営まれていた人々のくらしを暖かく描きだします。それは、人間本来のくらしとはなにかを問いかけてきます。

巻末には、取材のために島を訪れた作者、ベス・ウォーターズさんの取材スケッチがあり、今の島の様子を伝えてくれています。

2020年9月27日日曜日

先住民に対する厳しい差別の歴史

おはようございます!今日は、6/6、7/10、7/26、9/24に続いて1期生の須藤倫子さん、5回目のご登場。須藤(旧姓・小迫、通称:ちゃこねえ)さん、ご寄稿、本当にありがとうございます!皆さん、どうぞ、この絵本、ご覧ください。

『わたしたちだけのときは』デイヴィッド・アレキサンダー・ロバートソン文 ジュリー・フリット絵 横山和子訳 岩波書店 2018年

BLM(ブラック・ライヴズ・マター、アフリカ系アメリカ人に対する警察の残虐行為に抗議して、非暴力的な市民的不服従を唱える組織的な運動)で揺れる米国にくらべ、地続きのカナダはもっと人権が守られているイメージがある。移民大国、多民族共生の先進国と言われ、米国から良心的兵役拒否の若者を受け入れたり。

でもそんなカナダにも差別はあって、古いものではかの『赤毛のアン』シリーズ(NHKで最新版の放映が始まったところ)、全編を通じてフランス系住民を二等民族のように描いている。

そして何より先住民に対する厳しい差別の歴史。

カナダには極北地方のイヌイット(エスキモー)諸部族の他にもファーストネーションと呼ばれる先住民族がいて、固有の言語だけでも50種以上を数えるのだが、政府は彼らの文化を国策として(!)百年以上にわたり破壊し続けていた。たとえば子どもたちを親元から引き離し専用の寄宿学校に入れ、部族の母語を禁じ英仏語を強制、キリスト教の信仰を押しつける。被害にあった子どもはのべ15万人、虐待によって少なくとも6000人が死亡している。苛酷な同化政策の歴史について政府が公式に謝罪したのは、やっと2008年のことだ。

カナダ総督文学賞を受賞したこの絵本は、これまでも先住民族をテーマに多くの作品を発表してきた作家と画家が、老婦人の回想として同化政策寄宿学校を描いたもの。

「おばあちゃんの服は色あざやかで虹から作ったみたいにきれい。どうしていつもそんなにきれいな服を着ているの?」孫娘の無邪気な質問に祖母は静かに語る。

好きな服を着ていた小さいころ、家から無理やり遠くの学校に行かされて暗い制服を着せられたこと。でも監視の目のない「わたしたちだけのときは」地面に寝転がって赤や黄色の葉っぱを服につけ色とりどりにしたこと。だから今は好きな時にきれいな服を着ているのだと。それはとてもいじらしい抵抗。長く長く伸ばすのが誇りだった髪の毛は耳元でばっさり切り落とされた。「わたしたちだけのときは」野の草を編み込んで背中から垂らして代わりにした。

文化を破壊されることは自尊心を打ち砕かれることで、その傷は何十年経っても痛み続ける。この政策は文化的ジェノサイドだったのだ。先住民族への差別は今も残り、失業率は高く収入は低く、平均寿命はカナダ全体のそれに比べ20年短い。

沖縄や北海道、朝鮮半島や台湾で日本政府が行なったこと、そして今も謝罪はしていないことも頭に置きつつ、読んでみてほしい。 

2020年9月26日土曜日

「成長」をめぐる生物学

おはようございます!今日は、多種多様な自然の生き物の成長のかたちから、人間にとっての「学ぶこと」や「大人になること」の意味を考える、そんな一冊です。お楽しみください。

『生き物が大人になるまで』稲垣栄洋/著 大和書房

自然界の動物や植物は、さまざまな個性をもって「成長」していきます。一方で、人間の「成長」は、得てして順番を競ったり、平均値と比べたりと、画一的なものさしで計られることが多いようです。本書では、そんな人間の「成長」について、驚くほど多様で面白い生き物の成長の仕方から学ぶことを試みます。

著者は『生き物の死にざま』『面白くて眠れなくなる植物学』など、自然科学系の著書多数の稲垣栄洋(植物学者、静岡大学教授)さんです。

本能に頼る虫は、生まれながらに正確な行動をとることができますが、想定外の環境の変化に対応できません。

知能に頼る動物は、学ぶことで環境の変化に対応しますが、成長に時間がかかり、しかも正しい行動をとれるとはかぎりません。

植物は、・・・例えば、イネは、草丈を伸ばすという成長、穂を実らせるという成長というように、異なるステージから構成されます。

では、改めて、哺乳類は、・・・2億年前からそんなに変わっていないのらしいです。

2億年前に哺乳動物が手に入れた「知能」は、生命が生きるためのシステムです。生きるための「知能」を働かせるためのもっとも基本的な情報は、自然からしか得られません。

また、哺乳類は、遊びから生き方を学んでいきます。例えば、キツネやライオンなど肉食動物の子どもたちは、兄弟でじゃれ合ったりケンカをしたり、よく遊びます。遊びながら成功と失敗を繰り返し、獲物を獲る方法や、仲間との接し方を学んでいきます。

ところで、生物の脳は、AIに負けてしまうのでしょうか。AIがすべての問題を解決するためには、膨大な情報を入力する必要があります。人間の「経験」は、そのAIの情報量を上回るのです。想定外に対応できるのが、人間の強みです。

では、脳を育てる、成長する力はどこにあるのか?成長は、時期が来ればするものであって、頑張ってするものではありません。自分の「成長する力」を見つめ、「成長したい」という声に耳を傾けてみるとよいかも知れません、・・・と、著者は語ります。

本書には、「成長とはなにか」「学ぶとはなにか」「大人になるとはなにか」を考えるヒントになる物語がつづられています。

2020年9月25日金曜日

ニキ~自分の中の戒律を守る心~

おはようございます!今日は、人間の個性をめぐる物語です。この作品に描かれたふたつの個性は、社会との極度の緊張を強いられる多様な個性です。ご一読ください。

『ニキ』夏木志朋/著 ポプラ社

高校生・田井中広一が主人公。彼は黙っていても、口を開いても、つねに人から馬鹿にされ、世界から浮き上がってしまう、そんな個性の人です。その広一が「この人なら」と唯一、人間的な関心を寄せたのが美術教師の二木良平でした。二木は穏やかな人気教師で通っていましたが、それは表の顔。

二木は社会と折り合うことが難しい性を抱えた人物でした。どうしても大人の女性を好きになれない─ペドフィリア(小児性愛者)なのです。

性的マイノリティの中でも、LGBTとペドフィリア(小児性愛)は同列に語れないところがあります。最も大きな違いは、相手の合意を取れるかどうかでしょう。LGBTと違い、ペドフィリアは、そもそも相手との合意が成立しません。

彼が自分以上に危険な人間であると確信する広一は、二木に近づき、脅し、とんでもない取引をもちかけます——。

追い詰めあうふたりのやりとりは、スリリングです。騙しているのか本気なのか、裏切りなのか友情なのかわかりません。両者の駆け引きから、言葉の欠片が飛んできます。まっすぐなのに奇妙にねじれ、温もりと突風が入り混じるようなバトルです。そんな駆け引きのなかで、事態は思わぬ方向に進んで行きます。

個性と社会の緊張を描き出した本書は、きわどい場面を描きながらも、さまざまな個性に応じた生き方と、その「倫理」を正面から問います。

本書には、どうしても抗えない性、でも絶対に実行に移してはいけない性を持った人間が、生きるすべはないだろうかという問いがあります。

その中で語られるのは、覚悟を持って「自分の大事な部分をクローゼットの中に隠して生きていく方法」です。

「欲望ってすごく強いものじゃないですか。それほどの衝動を抑えられるのは、自分の中の戒律を守る心、それはある種の自己愛、言い換えれば誇りだと思うんです。特に、二木のように孤独を覚悟して生きている人間は、自分自身に嫌われたらおしまいという思いを持つ人も多いのではと私は考えます。」と作者は語っています。

難しいテーマを扱い、力強いメッセージを描きつつ展開し、ラストは、不思議なすがすがしさを覚える青春小説です。

性の多様性と個性をめぐり、いろいろと考えることのできる作品です。 

2020年9月24日木曜日

大統領を動かした女性ルース・ギンズバーグ

おはようございます!今日は、6/6、7/10、7/26に続いて1期生の須藤倫子さん、4回目のご登場。須藤(旧姓・小迫、通称:ちゃこねえ)さん、ご寄稿、ありがとうございます!先日亡くなった、アメリカの最高裁判事の伝記絵本の紹介。どうぞ、ご一読ください。

『大統領を動かした女性ルース・ギンズバーグ 男女差別とたたかう最高裁判事』ジョナ・ウィンター文 ステイシー・イナースト絵 渋谷弘子訳 汐文社 2018年

アメリカの最高裁判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグが9月18日に亡くなりました。87歳。現役のまま。裁判官?アメリカの?だから何?って思わないで、もうちょっと読んで。アメリカの10代20代がサンダース以上にクールだと思ってたおばあちゃんなんだから。

日本だとアイコンになるような老人ってどうしても「かわいい」になりがち。美輪明宏さまだって、キャラクター扱いでしょ。でもアメリカにおけるギンズバーグ判事は違う。「最強」で「かっこいい」の。伝説的ラッパーで巨漢の「ノトーリアスB・I・G」(1997年に暗殺)の名前をもじって、「ノトーリアスR・B・G」って呼ばれてた。悪名高いって意味。そんな風に言われて気を悪くしない?て聞かれて「私はこんなに小柄なのにね。でも私と彼はブルックリン(NYの下町)生まれ同士なのよ」ってにっこり笑ってたのもクール。RGB人形やマグカップ、Tシャツ、ここぞという判決を下す時につけてたレースの襟のレプリカなどなど、グッズも山のように出てるけど、みんな「かわいい」から買うんじゃない、彼女がカッコいいから、彼女の生き方を支持してるから、あんな風に生き抜きたいって思うから買うの。リスペクト!

最高裁判事だから偉いんじゃなくて、すごい人だからカーターに見出だされ、ビル・クリントンから最高裁判事に指名され(女性として史上2人め)、オバマに絶大な信頼を寄せられ、トランプには目の上のたんこぶと思われてきた。

コロンビア大の法科大学院を首席で卒業しても「女だから」って法律事務所には就職できず、それでも法律家として実績を積みながら、あらゆる性差別と闘い(女性だけでなく男性の権利も守り)、判例を一つ一つ積み重ねてアメリカの女性の地位と権利を向上させてきた。大きな声でわめいたり、一発逆転を狙うんじゃなくて、静かな声で精緻に説得、少しずつ支持の輪を広げて勝利を勝ち取るのがスタイル。

アメリカでは伝記も名言集もたくさん出てるけど、日本で今すぐ読めるのはこの伝記絵本。10月にはあすなろ書房から児童書の伝記も出るけど。子ども向けはちょっと…と思う人は、本人に密着したドキュメンタリー映画「RBG 最強の85才」(アカデミー賞ノミネート)や、若き日を描く伝記映画「ビリーブ 未来への大逆転」を観てね。

2020年9月23日水曜日

重力波は歌う

おはようございます!今日は、LIGO(レーザー干渉型重力波観測所)で2015年9月に直接観測された重力波。4キロメートルのパイプを2本、L字型に組み合わせた干渉計で重力波の直接観測に挑んだ科学者たちのドキュメンタリ―です。お楽しみください。

『重力波は歌う――アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち』ジャンナ ・レヴィン/著 ハヤカワ文庫 NF

物体が運動したときに生じる時空のゆがみが光速で波のように伝わる現象を「重力波」と言います。

100年前にアインシュタインが存在を予言しながら、これまで観測されていなかったこの波動を、2015年9月米国の研究チームがついにとらえました。

一般相対性理論が正しいことは確実なので重力波が存在することは間違いないのですが,どこまで精度を上げれば観測にかかる重力波源が現実にどの程度存在しているのかは天体観測の結果に基づいて推測するしかありません。

アメリカのグループが作成した重力波観測装置であるLIGO(ライゴ、レーザー干渉型重力波観測所)は、2つのブラックホール合体により14億年前に発せられた重力波をとらえました。

本書は,半世紀にわたるLIGO建設にかかわった科学者たちの演じたドラマを,直接その主役たちに取材して綴られたものです。

ドラマの主人公は2017年度ノーベル物理学賞に輝いたライナー・ワイスとキップ・ソーン,およびその直前に惜しくも亡くなったロナルド・ドレーヴァーの3人です。(生存者でなければ受賞できないので,3人目の受賞者はLIGO2代目統括者のバリー・バリッシュになりました.)もちろんこのほかにも、いろんな人物が登場します.

ノーベル物理学賞を受賞した歴史的偉業の裏には、どんなドラマがあったのか?

天文学の新地平を切り拓く挑戦の全貌を関係者への直接取材をもとに描き出す、サイエンス・ドキュメンタリ―です。

最先端の宇宙物理に関わる人たちの人間模様が良く描かれていて、科学が苦手なん人にも楽しく読めるのではないでしょうか。想像以上に、登場人物たちが、身近な存在に感じられると思います。

著者は、自身も物理学、天文学の研究者。科学的な意味を十分理解した上で、キーパーソンに対する直接のインタビューや検出器が設置された施設の見学などを基に書かれた本書は非常に生々しく、臨場感あふれるものとなっています。

宇宙には「ブルース」(重力波という名の時空を震わせた残響音)が満ち溢れている。

この文庫版では、受賞者たちの人柄をかつての同僚・川村静児教授(東京大学宇宙線研究所)が振り返る解説も収録されています。おススメの一書です。

2020年9月22日火曜日

世界とキレル

おはようございます!今日は、スマホに依存して生きている中学生が、仲間や自然生活との出会いで変わっていくひと夏を描いた物語です。ご一読を。

『世界とキレル』佐藤まどか/著 あすなろ書房

スマホもネットも使えない山奥の洋館で過ごす、スペシャルサマースクール「森の家」。

新時代をよりよく生きるため、先入観にとらわれない人材育成を目標に、7人の中学生が同じ環境、同じ食べ物、同じ服装、同じコンディションの中で、夏休みの3週間を過ごします。

参加者は全員制服着用。私服不可。

食事は自給自足を原則に、オーガニック食材を使用した特別メニュー。ジャンクフードは禁止。

デジタル・デトックス(デジタル機器の使用を控えていくこと)のため、スマホ・PC・タブレットは没収。

両親とは週1回、固定電話で通話可。

母の策略により、このサマースクールに幼なじみの鏡花と一緒参加させられた中学2年生の舞は・・・。

世界とキレルとは、・・・今の世の中、スマホやパソコンが使用不可になったら、本当に世界と切れる!という感じです。これらの機器類への依存度は、コロナ禍でますます増加の一方です。

スマホは、舞にとって「窓」だです。世界と繋がっている「窓」がなくなった彼女は、こんな生活は収容所のようで耐えられないと、ある朝、脱走を試みます。まだ暗いうちから、そっと外へ出て歩き始めました。林道をいくと、車で追いつかれ捕まるので、森の中を林道に平行に進むことに、少し歩いたあと、足もとを滑らせ斜面を転げ落ちてしまいます。大木に当たって止まるが、全身が痛くて、その場で動けなくなってしまいました……。

生身の人間との友人関係か、SNSで繋がる仮想の人間関係かという問題、そして、人にはそれぞれの個別の日々があり、個別の悩みがあり、そこには個別の物語があるのだ!ということが描かれています。

舞はいとこの鏡花ちゃんにコンプレックスをもっていて、また、母親には言いたいことをいえませんでした。いろいろな環境で暮らす中学生が集まることで、一見恵まれた生活のように見えてもその人なりの悩みがあり、舞はみんなと話すことで前向きになっていきます。

彼女は、自分で頑張るだけでなく、周りの人に頼ることも大切だと感じるようになり、家に戻った後、スマホやSNSだけでなく、母親との関係も変わっていきます。

2020年9月21日月曜日

BODY 世にも美しい人体図鑑

おはようございます!今日は、人体にまつわる細かな知識を、数字とインフォグラフィック(infographics、データや情報などをわかりやすく視覚的に表現したもの)で紹介した図鑑です。お楽しみください。

『BODY 世にも美しい人体図鑑』スティーブン・パーカー/著 アンドリュー・ベイカー/絵 ディスカヴァー・トゥエンティワン

すべての人にとって最も身近でありながら最も謎多き存在、それが人体です。

「人体で最も多くエネルギーを消費しているのはどの器官?」

「人体に最小限必要な骨の数はどのくらい?」

「目が光源に反応してから脳が認識するまでにはどれくらいかかる?」

「脳とコンピュータの記憶容量は?」

「関節はどこまで動く?」

「体重に占める皮膚の割合は? 」

全ページフルカラー・総イラスト仕様。豪華100のインフォグラフィックが人体の神秘を解き明かしています。ページをめくるたびに、鮮やかな図解に引き込まれます。思わず、友達に教えたくなる知識が100個は見つかりますよ(笑)。 

本書は、細かいけれど大切なことを、インフォグラフィックで誰もが楽しく、直感的に理解できるようにしています。予備知識は一切不要。必要なのは、好奇心。

「なぜ、数十兆の細胞が1人の人間になるのか?」

「なぜ、一流のアスリートとそうでない人がいるのか?」

「なぜ、病気の原因を特定できるのか?」

最新の科学が解き明かす“人体”のミステリーを楽しめます。

2020年9月20日日曜日

「平凡な人生」のおどろくべき輝き

おはようございます!今日は、夫を突然亡くしたアイルランドの主婦ノーラが、子どもたちを抱え、二十年ぶりに元の職場に再就職し、同僚の嫌がらせにもめげず、娘たち息子たちとぶつかりながらも、ゆっくりと自己を立て直し、生きる歓びを発見していく物語です。YA諸君、たまにはこういう「渋い!」読み物もいかがでしょうか。

『ノーラ・ウェブスター』コルム・トビーン/著 新潮社

ノーラが夫を急病で失ったのは40代半ば。4人の子どもがいます。貯金はありません。

この家族が暮らすのはアイルランド南東部の小さな町です。町中がお互いを知っているような、小さな田舎町です。

作者の母と重なる主人公ノーラは、夫の死後、毎日、予告なしにやってくる弔問客に疲れて、ダブリンに移ろうかと考えます。ところが、子どもの時から知っている女子修道院長は、「心配ないわ……町があなたを守ってくれます」と言います。

結婚する前に11年間働いていた、町内の会社から、再就職の声がかかります。現社長も、その夫人も、先代社長も、ノーラが若いころからの知り合いの仲です。

しかし、出勤してみると、直接の上司は、10代のころノーラがいじわるをした、まさにその女性でした。当然、お返しがはじまります。まじめで有能なノーラの像が、かえってここで急に活き活きとしてきます。

ノーラは、自分の悲しみを人に訴えない生きかたを選び、人に憐れみを乞わない姿勢を通してきました。

亡夫は、中高一貫男子校の教師でした。長男ドナルは父親を尊敬し、父のようになりたいと思っていました。その父を失って以来始まった、彼の吃音は、別の寄宿制高校に転校すると、自然に治まります。この小説の作者となるのは、彼、ドナルです。

作者の母は、1921年生まれ。この物語の背景は、1960年代の終わりから70年代のはじめにかけて、ということになります。田舎の町が、そこに住む人を再生させる力を保っていた時代です。

しかし、ここに描かれた、「平凡な人生」のおどろくべき輝き――は、強固な普遍性を持って私たちの人生を照らしています。

2020年9月19日土曜日

おいで、アラスカ!

 










おはようございます!今日は、12歳の少女パーケルと、てんかんの発病で留年した13歳の少年スフェンを主人公にした物語です。出会って二週間の出来事が、対話形式で語られます。二人をつなぐのは、一匹のアラスカという名前のゴールデンレトリバーです。ご一読ください。

『おいで、アラスカ!』アンナ・ウォルツ/著 フレーベル館

昨年いきなり始まったてんかんの発作のために新しい学校でもう一度やり直すスフェンは、初日授業中に発作を起こし、クラス全員に奇異な目で見られたことを気に病んでいました。

5週間前に両親のやっている写真店が強盗に襲われ、目の前で父親が撃たれたのを目撃したパーケルは、初日の自己紹介のとき、スフェンにけしかけられて犬の声で歌ったことに恥を感じていました。

スフェンに嫌悪感を抱くパーケルでしたが、さらにその日の放課後、スフェンを迎えに来た彼の母親が連れていた介助犬を見て衝撃を受けます。それは、彼女が4ヶ月前に弟のアレルギーのために泣く泣く手放した愛犬アラスカだったからです。

新学期一日目、パーケルは手放した大好きな犬が、意地悪なスフェンの介護犬だと知り憤慨します。彼への怒りとアラスカへの思慕から彼女は彼の家に忍び込みアラスカを取り返そうと目論みます。

夜中にパーケルは、父親のスケート帽に目と口に穴をあけフェイスマスクを作り、アラスカのいるスフェンの部屋に忍び込みました。顔を隠していていてもアラスカは元の飼い主のパーケルだとすぐに見抜きます。「アラスカ」と犬にささやく突然の侵入者に、スフェンは驚きましたが、パーケルが犬の元の飼い主と知り、スフェン自分がてんかんの病で生きることへの不安を抱えていることを話しました。

二日後の夜、スフェンは、アラスカがどっちの飼い主を選ぶか勝負します。勝ち目がないと思っていたのに、アラスカは、スフェンを選びました。アラスカとの信頼関係は、犬ではなく一人の人間だと思えるぐらいぐっと強くなります。

スフェンが、学校で大きな発作を起こした日、パーケルは、先生が初日に配ったてんかんの発作対応方法を思い出し冷静に対応しました。しかし、発作の様子を誰かが動画に撮りグループチャットに流したのです。先生は、ネットで拡散しないよう動画を消去させましたが、スフェンは、学校をやめる決心をします。・・・

生きることに不安を感じているふたりが、その不安を乗り越える勇気を持つ過程を、SNSやメディアのトラブルも絡めて、交互に語る物語です。

2020年9月18日金曜日

ぼくたちがギュンターを殺そうとした日

おはようございます!今日は、「子どもたちの間の同調圧力といじめ」「大人が果たすべき役割」など、現代にも通じる問題を、第二次世界大戦終戦直後、混乱期のドイツの農村を舞台に描いた作品です。ご一読ください。

『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』ヘルマン・シュルツ/作 徳間書店

第二次世界大戦終戦後、主人公のフレディは、両親とうまくいかず北ドイツのリューネブルクの南にあるおじさんの農家で過ごしていました。そこへギュンターと言う難民の少年がやって来ます。ある日曜日、ふとしたことがきっかけでギュンターを仲間の男の子達と一緒にひどくいじめてしまいます。

ギュンターが土地を追われた難民の子どもで、普通の様子とは違っていて、遊ぶ時には邪魔だったからです。

いじめが大人にばれるのをおそれた仲間のリーダー・レオンハルトは、口封じのため「あいつを殺そう」と言い出します。

あの時代、手本となるべき大人たちの悪行を耳にした少年たちが、「大人たちだってやったじゃないか。なぜこどもがやるのはいけないのか?」と。少年たちは、戦争で大人はたくさんの人を殺しているじゃないかと言いあい、さらに、「殺した相手が誰ならよくて、誰ならよくないか」と。少年たちは故郷を追われた難民で少し障害のある子ギュンダーを標的にします。

フレディの後悔と不安の日々、そんな彼にリーダーからの圧力がかかります。

両親と離れて親戚の家で暮らしていたフレディですが、彼には相談する相手がいました。隣家のルイーゼには企みを阻止するための助力を頼めました。姉に手紙を書くことで気分が晴れることもありました。年上のいとこのフリッツには現実を厳しく指摘されました。

そして、復員兵のヴィリーからは、自分たちの計画の恐ろしさを理解させられ、自分が取るべき行動を諭されます。

助けてくれる人がいる。真っ当な方へと導いてくれる人がいる。

子どもたちのあいだの同調圧力といじめ、大人が果たすべき役割…現代にも通じる問題を、戦争の影の下に描き出した一冊です。 

2020年9月17日木曜日

#MeTooに火をつけた

 

おはようございます!今日は、#MeToo運動のきっかけとなった、「ハリウッドの絶対権力者」の性的暴行を暴いた調査報道の軌跡を描いた作品です。ご一読ください。

 『その名を暴け―#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い―』ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー/著 新潮社

 標的は成功を夢見る女性たち――映画界で「神」とも呼ばれた有名プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインは、長年、女優や女性従業員に権力を振りかざし、性的暴行を重ねてきました。自身の未来を人質にされ、秘密保持契約と巨額の示談金で口を封じられる被害者たち。沈黙の壁で閉ざされていた実態を、ふたりの女性記者が炙り出す、その軌跡を描いたノンフィクションです。

 「ハーヴェイ・ワインスタインは何十年ものあいだ、性的嫌がらせの告発者に口止め料を払っていた」――。2017年10月5日、ジョディ・カンター記者とミーガン・トゥーイー記者の2人の女性が執筆した衝撃的なスクープ記事がニューヨーク・タイムズ(NYT)に掲載されると、これを機に#MeToo運動は一気に世界へ拡散していきました。

 沈黙を続けてきた女優や従業員らも次々と実名告発に踏み切り、ワインスタインから受けた被害を告発した女性は最終的に100人以上に膨れあがりました。

 本書では、ジョディ記者とミーガン記者を中心とした取材チームと、記事をつぶそうとするワインスタインとの生々しい攻防が記されています。

 取材を重ねる中で、ジョディ記者たちは証言やメールなどの電子記録、過去の法廷記録、メモ、示談書などの客観証拠を積み上げていきます。

 表に出なかったからくりも判明します。ワインスタインは、被害にあった女優が声をあげようとすると、秘密保持を条件にした示談交渉に持ち込み、口封じをしていました。さらに被害女性の弱みを握るため、イスラエルの元陸軍情報部員が所属する団体を使って情報収集させていたのです。自身への取材の動きを察知すると、私立探偵を雇ってジョディ記者たちを監視。ジョディ記者たちはゴミ箱まで漁られ、女性スパイから怪しげなメールまで届きました。まさにハリウッド映画のような展開です。

 被害女性たちはなぜ次々と怒りの声を上げたのか。告発者が孤立したり、不利益を被ったりしないよう、連帯することで反撃や中傷から告発者を守ることができるからです。

 連帯の成果は次の世代にも引き継がれていきます。

 本書は、「社会を変えた華々しいスクープ」の物語の内実。事実を積み上げ、細部を仔細に記録するノンフィクションのスタイルで書かれた、優れた一級のドキュメントです。

2020年9月16日水曜日

漫画『約束のネバーランド』を英米文学者が読み解く

本日は、2017年第63回小学館漫画賞受賞作品、累計発行部数2,100万部超の『約束のネバーランド』を英米文学者が学術の立場から読み解こうと試みた考察本です。お楽しみください。

 「英米文学者と読む『約束のネバーランド』」戸田 慧/著 集英社新書

 漫画『約束のネバーランド』、この漫画の設定では、・・・昔、「鬼」は人間を襲って食べる生活をしていましたが、当然、鬼に服従する人間も、鬼を憎み武装して食われた数以上の鬼を殺す人間たちもいて、終わりのない殺し合いと果てのない恐怖が続いていました。それに互いが嫌気を指していた時に、人間側から「人間は鬼を狩らない、だから鬼も人間を狩らない。お互い世界を棲み分けよう」という提案がなされました。この『約束』が全ての始まりで、これによって世界は人間の世界と鬼の世界の2つに切り分けられ、2つの世界は断絶することになりました。

 主人公のエマたちの先祖は、実は、その時に「鬼側の世界に置いて行かれた土産」で、鬼は約束を守り「農園で人間を管理、養殖を続ける」ようになっていました。

 物語は、主人公達が鬼が運営する、「人間を食用の家畜として飼育する」グレイス=フィールドハウスという農園(表向きは孤児院)から始まります。

 この漫画は、その孤児院で育てられた子ども達が過酷な運命に抗って生き抜いていく物語です。

 その意表をつく展開や複雑な頭脳戦の背景には、多彩な文学作品や宗教に関する膨大な知識が踏まえられていることが窺えます。

 本書は、そんな『約束のネバーランド』を、英米文学者である著者が専門の学術的立場から読み解こうと試みた考察本です。それはまた、この漫画を通した英米文学・文化への入門書ともなっています。そして、それは同作の名場面を豊富に引用しながら、数々の謎の核心に迫った興味深いミステリーでもあるのです。

 本書の主な内容

・「約束のネバーランド」というタイトルの真の意味とは?

・謎を解く手がかりを与えてくれる、いくつかの英米文学作品

・階級、女王、狩り……鬼の社会と似た特徴を持つ国は?

・「原初信仰」とユダヤ・キリスト教

・鬼の言葉とヘブライ語

・ジェンダーから見た『約束のネバーランド』の新しさ ほか

例えば、「第1章 イギリス文学・文化とのつながり」は、こんな内容です。

1.J.M.バリー「ピーター・パン」~「約束のネバーランド」というタイトルの意味~

2.ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」~白ウサギ、レウウィス、チェス~

3.十九世紀のロマン派作家たち ~バイヨン卿とバイロン卿~

4.J.R.R.トールキン「指輪物語」 ~エルフと鬼~

5.鬼社会とイギリス社会 ~階級、キツネ狩り、女王~

2020年9月15日火曜日

生きづらい明治社会

 












今日は、不安と競争をキーワードに明治社会を読み解き、日本社会の今を考えるのに最適の一冊です。ご一読ください。

『生きづらい明治社会  不安と競争の時代 』松沢裕作/著 岩波ジュニア新書

本書では、明治社会というのは、何か明確な目標に向けて新しい社会の建設がはじまったというよりも、むしろ江戸時代の秩序が崩壊してしまった社会ととらえられています。

従って、その空白状態に放り出された人びとは、不安を抱えながら、生き馬の目を抜くような競争を生き抜くしかなかったこと、そうした社会では、「結果的に競争に勝ったものが道徳的にも正しい」という「通俗道徳」が社会に広がりがちであることだったことが指摘されています。

そして、それは、やはり先が見えないがゆえに「自己責任」論が広がる現代社会と似ている、と。

絶望したくなるような状況が生まれたのは、どのような仕組みなのかを、事実の裏付けと論理とによって解き明かしたYA向けの新書です。

 このように、「これはつらい」と指摘する、それもできるかぎり明晰に指摘することは、それ自体が希望でありうるのではないか、・・・という一書です。

 明治の農民騒擾と現代のデモ、明治の貧民窟の住人と現代のネットカフェ難民などと、明治の頃と現代をつなげて論じていて、今を生きるYAに入りやすい本です。おススメ。

2020年9月14日月曜日

ハリネズミの願い

今日は、ハリネズミが主人公の一冊の本です。コミュニケーションについて誰もが持つ不安と、救いが描かれています。ご一読ください。

『ハリネズミの願い』トーン テレヘン/著 新潮社

「親愛なる動物たちへ ぼくの家にあそびに来るよう、キミたちみんなを招待します。・・・でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。」他の動物たちとうまくつきあえない孤独なハリネズミが、誰かを招待しようと思って書いた手紙です。

せっかく招待の手紙を書いたのに、今までだれも訪ねてくる友達がいなかったハリネズミは、もしもクマがきたら?ヒキガエルがきたら?ゾウがきたら?フクロウがきたら?と想像して不安に襲われます。

ハリネズミが想像する、みんなが訪問することで起こるであろう「アクシデント」の底には、コミュニケーションについて誰もが持つ不安が横たわっています。

「自分を理解してもらえないのではないか」「一方的な要求や期待をされるのではないか」「お互いの話題がかみ合わないのではないか」「知らずに傷つけてしまうのではないか」という不安です。

ハリネズミは自分のハリが嫌いで、それが原因でみんなに嫌われていると思っています。「ハリのかわりに翼をもっていたら、孤独ではなくなるのに・・・」 と思う一方で、そのハリを含めた自分のありのままをみんなが受け入れてくれることを想像します。

そんなハリネズミが訪問客を喜ばせようと、いろいろなもてなしをすることを空想するのですが・・・、「みんながおいしいと思うようにと、あれこれ付け足した雲の上までそびえたつケーキ」は結局「だれにとってもひどいケーキ」でした。ハリネズミは思います。「ぼくは、自分でおいしいと思うケーキを焼くべきなのかもしれない」と。

こうして、さまざまな動物が訪れることを延々と想像しては不安や後悔を味わううちに、日は過ぎて冬眠の季節が近づきます。そして、とうとうハリネズミは最初に書いた招待状を破いてしまいます。「やっとはっきりわかった。ぼくはだれにも訪ねてきてほしくないんだ」

もう誰も邪魔することはないだろうと思ったハリネズミですが、その時、予期せぬお客が訪れます。「なんとなく、キミが喜ぶかもしれないと思って」と、リスが訪問したのです。

リスは招待されたから来たわけではありません。心配や気遣いで訪問したのでもありません。「なんとなく、キミが喜ぶかもしれないと思って」です。

 「また会おうね」ハリネズミは自分が知るもっとも素敵な言葉を胸に、安心して長い冬眠に入ります。

リスの訪問の後、ハリネズミはそれまで 大嫌いだったハリを「自分にとって支えであり、頼みの綱である」と思えるようになります。

・・・なるほどなあと、読者の心の中のハリネズミが深くうなずいているのではないでしょうか。

2020年9月13日日曜日

青春という名の「帝国」

今日は、教師をやっている主人公・佐紀が中学時代の同級生からの電話で当時を思い出すことから始まる、中学生の頃に特有の複雑になる人間関係や、それらに関係する感情に振り回されるYAたちの「青春」の物語です。ご一読ください。

『青春ノ帝国』石川宏千花/著 あすなろ書房

突然の電話から、現在の関口佐紀の中に残っていた中学時代の思い出がいっきに過去へと戻っていきます。

「坂の上の古ぼけた一軒家。その科学と実験の不思議な塾は、私のたったひとつの希望だった。」

思うようにいかない中学時代。地味な存在の佐紀は、髪を切ればクラスで目立つ子の真似をしたと凄まれ、苦しむ毎日。

佐紀を癒してくれる奈良くんは両親の不仲に苦しんでいます。

そんな二人に塾の久和先生は、今の苦しみは今だけ。苦しみを取り込むと人の苦しみを分かってあげられると諭します。

佐紀はこつこつと自分自身の改革を進め、違う風景を見ようと努力していきます。不満だけでなく、一歩一歩苦しみながらも進んでいく佐紀。関わってくる大人や初恋の相手との関係により彼女は成長していきます。

その時期に共に支え、闘った同志は離れても、ともにありつづける。彼女が闘うのは青春という名の「帝国」、そして、いつしか同志と呼べるひとたちの存在に気付きます。

いい友達を得た代わりに憧れている人を永遠に失ってしまった、佐紀の気持ち。たとえ、大事なものを失うことになってしまったとしても、それぞれが生きてさえいれば・・・。この青春ノ帝国を生き抜くためには、一歩踏み出す勇気が必要です。歩き続けていれば、・・・自分が変わり、世界もまた確実に変化すると、この物語は語っています。

14歳の私がしんどい時代を生き抜いた―青春という名の「帝国」で戦う同志に贈られた、YAストーリーです。 

2020年9月12日土曜日

イーブン

 

おはようございます。今日は、・・・対人関係では、人との距離感がとても重要です。その時、できたら“イーブン"でありたい、そのためにはどうしたらよいのか、・・・ちょっとだけ背中を押してくれる、中1の少女の成長物語です。ご一読ください。

 『イーブン』村上しいこ/著 小学館

 中一の美桜里(みおり)は友だち関係のこじれから不登校に。母はスクールカウンセラーとして働く傍ら女性の権利を守る活動を、父はテレビ番組の制作をしています。父のDVが原因で両親は離婚し美桜里は母と暮らしていますが、離婚時の条件で面会が認められており、父とは定期的に会っています。

ある日、美桜里が一人で家にいる時、空き巣に入られるのです。この事件をきっかけに母から半ば強制的に、美桜里は昼間、祖母のところへ行くことになります。

焼き肉屋で祖母が開いてくれた美桜里の歓迎会の席で祖母の知り合いという孝夫ちゃん(57歳)と登夢(トム・16歳)という不思議な二人に出会います。

祖母が出店する手作り市が公園で開催され、一緒に行った美桜里は自分の居場所もなくさまよううち焼き肉屋で会った二人がカレーとからあげのキッチンカーを営業していることを知ります。突然トムに命令され、反発を感じながらも手伝うち、美桜里はトムに特別な感情が芽生えてきます。孝夫ちゃんのはからいで美桜里はキッチンカーをそれからも手伝うことに。

父に、母に、友達に対しても言いたいことはあるのにうまく言葉にできない、いつも困ったように黙ってしまう美桜里にトムは「美桜里とおれが、まだ気持ちの上でイーブンじゃないってこと。いろいろ話せるところまで、信用されてないのかな」と言います。

イーブンな関係であろうとするトムの存在は、美桜里の心に少しずつ変化をもたらします。それは波紋が広がるように美桜里と母、美桜里と父、さらに父と母の関係にも変化を生じさせいくのです。

 人との関係性を構築していくことは生きていく上で必要ですが、だからこそ、うまくいかないことが多々あります。

 “イーブン”な関係性はどうやったら作れるのでしょうか。

 そもそも“イーブン”な関係性って?

 美桜里の一人称で語られるこの物語は、その問いに向かいあいます。私たちはいつの間にか美桜里の気持ちに寄り添い、ともに考えながらこの物語に引き込まれていくでしょう。

2020年9月11日金曜日

東京の空の下 4

 











今日は、高3の武藤平次君、5/15『蛇行する月』9/1『東京百年物語1~3』9/3『東京の空間人類学』9/5『日和下駄』9/8『武蔵野をよむ』に続いての登場です。東京を闊歩する魅力を伝える『お散歩シリーズ』の4回目です。平次君、連続寄稿、ホントにありがとうございます!皆さん、どうぞ、ご一読ください。本日は、森鴎外の・・・。

 『青年』森鴎外/著 新潮文庫

 ヘイジです。早いものでもう第四回目の様です。今回紹介する一冊は私を散歩の世界へと誘った小説です。日本を代表する文豪である森鴎外の『青年』であります。この本は現在、岩波文庫と新潮文庫双方の出版社から発売されていますが私が初めて購入したのは新潮文庫版である為そちらを基調として話を進めていきます。

この小説は1910年の3月から同年の8月まで雑誌『スバル』に連載されていました。どうやら鴎外は1908年に連載を開始した夏目漱石の『三四郎』に触発されて『青年』を書き始めたそうです。故に『三四郎』と同様に田舎から上京し何処まで行っても尽きる事ない東京という街を主軸に物語が展開していくのです。鴎外の『青年』も漱石の『三四郎』もジャンルでいえば純文学に属します。然し、更に細かく分類して行くと”教養小説”というジャンルに分けられるのです。”教養小説”とはあまり聞き馴染みのないジャンルかもしれませんので一応説明致しますとドイツで発祥したジャンルであります。主人公の肉体的・精神的成長をテーマにした物語形態です。例えばゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』やトーマス・マンの『魔の山』も教養小説です。

『青年』のあらすじは以下の通りです。

田舎から上京して来た作家志望の青年、小泉純一は著名な作家である大石狷太郎の元へ弟子入りを志願するために彼の家を訪れる。その帰りに偶然に画家志望の幼馴染、瀬戸速人と再開する。瀬戸と共に様々な芸術家が集まる青年倶楽部へと行き、ある文人の文学論を聞く。その集いで出会った医学生、大村という男と親しくなり、ある日二人で帝国劇場に行くことになった。劇場にて偶然知り合った坂井未亡人の事が忘れられなくなってしまった純一は坂井未亡人を追って箱根に行ってしまう。再会したのは良いものの坂井未亡人は岡村という画家と一緒にいたのだった。

『青年』の面白味はストーリーだけではありません。鴎外の文学論や哲学論を知ることができるのです。更に細やかな悪戯心も垣間見えます。例えば小泉純一は序盤に千駄木の長い坂を登りながらある屋敷の中を覗きます。その屋敷の主は毛利鴎村という男です。鴎外自身なのです。そしてその鴎村を主人公こう評しています。

「干からびた老人の癖に、みずみずしい青年の中にはいってまごついている人、そして愚痴と厭味を言っている人」

鴎外の他にもたくさんの人物をパロディして登場させています。大石狷太郎は小説家の政宗白鳥をモデルに、医学生の木村は詩人の木下杢太郎をモデルに、そして途中主人公達の前で文学論を披露する平田拊石は夏目漱石をモデルにしているのです。

この小説は第一回で紹介した『東京百年物語』の様に実に様々な地名が登場します。本郷、上野、根津等々。鴎外の秀でた文体も相まってとても広がりがあるのです。非常に簡素にその地名が書かれているのですが、容易にその場の映像が頭に浮かんでくるのです。これを読んでしまうとその登場した場に訪わずにはいられなくなります。そして実際に行ってその場を見てみると、東京の街が一際味わい深くまた、煌めいて見えるのです。『東京百年物語』と異なる点はこの小説が一人の青年の成長を描いた教養小説であるという点です。

 物語の主人公は一人の青年であります。恋というものに惑い、生というものに懐疑の念を抱き、自らの行末に曖昧模糊とした疑問を抱きつつ日々を歩んでゆくのです。その体裁はまるで私や私と同年代の思春期を送る人々と同様なのです。私たちが抱く疑問というものを私達が考え及び得ぬ領域まで深く考察し、それを物語断片として書き記す、鴎外の手腕に驚きを禁じ得ません。

2020年9月10日木曜日

決定版 私説コメディアン史



おはようございます。今日は、7期生の沖内辰郎さん、再度のご登場。沖内君(通称:Qちゃん)、ご寄稿、ありがとうございます!7/30『コピーボーイ』8/2『ペーパーボーイ』に続いての登場です。どうぞ、お楽しみください。

『決定版 私説コメディアン史』澤田隆治/著 筑摩文庫 

本の紹介。どの本にも手に取るにはなにかの力が働いている。本が呼んでるその声が聞こえてればどの本でもいい読書が出来る。

本には行間がある。そこには何も書かれていない。空白には著者と読者の間に交わされた共通の見えない言葉によって書かれた約束がある。それは著者の思い込みでも読者の思い込みでもいいと思う。

僕はこの『私説コメディアン史』を読みながらこんな事を思い出していた。

20年ほど前グレイハウンドバスに乗りニューオリンズに着いた僕は、プロフェッサーロングヘアの曲の名前がついたライブハウスTipitinaにてエノケンが大好きな男に会う。その夜はSkatalitesとG -LOVE&Special Sourceがライブをやってた。その男と意気投合した僕は東京に来たらぜひ一緒になにかやろうと約束した。半年もしないうちに浜松でライブを僕がやるときに声をかけて再会した。しばらくして東京に出て来て一緒にたくさん時間を過ごした。素敵な夢を見てた浅草の芸人のような毎日スポットライトが当たっている時とそうでない時。芸人は、存在自体が消耗品のような気がするが振り返ってみればそこには必然性があり、その一世風靡したそのギャグは時代の空気を封じ込め、時計を止めたままに次の機会をじっと待っている。そのことを史実として書き留めておく事の重要性をこの本も伝えている。

エノケンに憧れたのは、僕がニューオリンズで会った男だけではない。

劇場や映画を通じて日本中に数多くのエノケンフォロワーが生まれた。著者である澤田隆治さんも子供の頃に映画を観まくった。山田洋次監督の『男はつらいよ』の寅のおいちゃん役の森川信もエノケンが足を脱疽で失った後、ステージいっぱいに動き、エノケンの笑いを引き継いだ、「ハヤシもあるでよ」の南利明はエノケンの正式の弟子だ。・・・というてもなんの話かわからんよね。

今はその点と線を繋ぐ資料はWikipediaでYouTubeなどでアーカイブの公開が一部分されている。ぜひこの本を手にした後、調べて見てほしい。

さて著者はラジオからテレビの時代をプロデューサーとして活躍した。

藤田まことは、股旅物の『てなもんや三度笠』で「あたり前田のクラッカー!」といって大ブレイクしその後は『必殺仕事人』や『はぐれ刑事純情派』と三度もヒット作に恵まれたが、著者は藤田まことのその以前を知っている。また漫才ブームの仕掛け人としても名を残している。エンタツアチャコは戦後当時すでに2人で漫才はやってはいなかったが、澤田隆治氏の熱意によって何度か共演を果たしている。

ダイマルラケット、芦屋雁之助が、鳳啓介がいったいどこからきてどこへ行ったのか?

著者が訴えているメッセージの一つは大切なのは正しいデータ保存の件だ。今後のアーキビストたちの必要性でもある。蘇るべきは大量消費されてきた記憶たちである。

ストップ!
現役のジモリの諸君たちは時代劇部というのを知っているかい?

2020年9月9日水曜日

現代バスク文学の傑作



おはようございます!今日は、現代バスク文学の傑作を紹介します。この本の翻訳自体が奇蹟です。ご一読ください。

『アコーディオン弾きの息子』ベルナルド・アチャガ/著 新潮社(2020/5)

1930年代ヨーロッパの西の果ての国スペインの内戦は、当時もそして今も人々の心を揺さぶり、生き方の選択を問います。

本書は、スペインの中でも異質の文化、言語、風俗をもつ辺境の地バスクの人々のスペイン内戦とその結論としてのフランコ独裁政治、それに抗してバスクの独立を目指した若者たちの戦いと挫折を描いた物語です。

主人公ダビの弾くアコーディオンから流れ出る、《パダン・パダン》の旋律が教室を満たしていった・・・という場面から、この美しく哀切な物語は始まります。

1999年アメリカで、バスク独立闘争の敗者としてこの地に移住した主人公のダビは、50歳の若さで死ぬ前に故国スペイン脱出前の自らの半生を綴り、3冊の私家本にして残しました。

使い手が地球上に100万人もいない彼の母語バスク語で書かれた本を彼の妻は読むことはできませんが、遺言どおり1冊をバスクに持ち帰ることをダビの親友ヨシェバに託しました。

同じく亡命者で今は作家として成功しているヨシェバは、自伝を読み、ダビが語る形の小説に書きあらため公表しました。

つまり、1999年、カリフォルニアで死んだ男・ダビが書き残した「アコーディオン弾きの息子」という回想録を、親友である作家・ヨシェバが、バスク語で書かれたこの手記を元に、彼ら二人の物語を紡ぎ始めるのです。この「作者が二人いる」という構造は、作者が二人いることを忘れてしばらく読みふけったあと、最後でまた思い出して、世界がうわっと広がって来ます。

死んだ幼なじみが、家族にも読めない言葉で綴り、向きあおうとした過去とは何だったのか。故郷の美しい自然、朴訥で生気あふれる人びと、名士として知られた幼なじみの父のもう一つの顔…。

随所で登場人物たちの会話に原作のバスク語が残され、それが彼らの生命の叫びを立ちあがらせます。

ダビは、アコーディオン弾きである父親や周りの大人が内戦の時どういう立場にあり、何をしたのか断片的に聞いていますが、それを正面切って父に直すことができません。疑念や嫌悪も含む様々の感情は成長とともに膨んでいきます。仲間との交流も女の子から想いを寄せられることもあるのですが、町の子であるダビが本当に好きなのは、伯父の牧場がある村で過ごす時間であり、牧場で馬の世話をし、黙々と働く農民や木こりたちです。

どんなに憂鬱で悩み多くとも、そこには音楽、ダンス、祭り、豊かな食べ物、仲間内の争いも恋の駆け引きもあり、青春の輝かしさに満ちていました。

しかし、・・・「僕の父はファシストとして人を殺したのか。」

ダビは、父親が内戦時代に村人殺しに関係していたことを知り、父親を受け入れがたくなっていきます。

この背景にある深い沈黙。

それは、この時代のスペイン社会を象徴するものです。反政府勢力に対する厳しい取り締まりが行われていたフランコ独裁時代、人びとは声をひそめて暮らしていました。自分が政治的にどちらの側なのか、だれも口に出して言うことはありませんでしたが、日頃の人づきあいや暮らしぶりから互いに察しあい、普段はそこに立ち入ろうとしませんでした。

そういうことなので、式典でアコーディオンを弾こうとしているダビに向かって(そのアコーディオンは父に手ほどきされました)、穏やかな伯父のフアンが発する、

「例式典でスペイン国歌を演奏したら、お前も同じ目に遭うぞ。一生の汚名を着せられることになる、そのことを忘れるな!」というせりふは衝撃的です。寡黙な伯父の言葉の凄み。

深刻なばかりだけではなくて、景色や自然、望みや無謀さや屈託や悲しみなど微妙な感情が仄見える若者たちの会話、アメリカで再会した晩年のダビとヨシェバの冗談めかしたからみあいなど、ほんとうに豊穣さのあふれ出る物語です。

2020年9月8日火曜日

東京の空の下 番外編


おはようございます。今日は、高3の武藤平次君、5/15『蛇行する月』9/1『東京百年物語1~3』9/3『東京の空間人類学』9/5『日和下駄』に続いての登場です。東京を闊歩する魅力を伝える『お散歩シリーズ』の番外編です。平次君、連続寄稿、ホントにありがとう!すごいなあ、引き込まれます。皆さん、どうぞ、ご一読ください。

『武蔵野をよむ』赤坂憲雄/著 岩波新書

今回は番外編です。番外編には東京ではなく武蔵野を取り上げます。

いや、待て、武蔵野だって東京だろ、とそういう声が聞こえてきそうなので初めてに釈明しておきます。

無論、武蔵野というのは東京です。しかしながらより正確に述べると東京の一部なのです。武蔵野台地は実に広いため東京だけでは治りません。神奈川までは行きませんが埼玉県の一部も武蔵野に入るのです。例えば狭山、秩父、そして小手指。埼玉と東京に横たわる扇状型の大地、それが武蔵野なのです。ちなみに武蔵野の東側の終点は不忍池です。(詳しくは第二回に紹介した陣内秀信教授の『東京の空間人類学』をご覧ください。)

私が今回、”番外編”と銘打ったのは武蔵野台地が埼玉県にも掛かってしまうからです。そうするとこのお散歩シリーズの題である『東京の空の下』と微妙に違ってきてしまうからです。

郊外の散歩も良いものです。乱立するビルの喧騒から少しばかり離れて静かな雑木林の間を抜けながら何処から吹く風を体に受ける事もまた乙なものです。今回紹介する図書はそんな郊外の美に気付かせてくれる様な本です。

岩波新書から出ている赤坂憲雄教授によって書かれた『武蔵野をよむ』。赤坂憲雄教授は現在、学習院大学日本語日本文学科の教授であり東北の風土や伝承を学ぶ”東北学”という新たな民族学を打ち出した教授であります。そして株式会社KADOKAWAから出版されている『武蔵野樹林』で武蔵野の風土や伝承を調べ新たな学問である”武蔵野学”を築こうとしているのです。

『武蔵野を読む』では明治の文豪、国木田独歩が書いた短編小説『武蔵野』を武蔵野の風土、国木田独歩の個人的背景、その双方から論じています。独歩の『武蔵野』というのは日本近代文学の発展において目覚ましい貢献をしている秀作でありますが、その全容を『武蔵野』のみに求めてしまうと中々分かりづらい作品でもあります。ただ武蔵野の豊穣な風土が讃美歌の如く縷々と綴られているのです。赤坂憲雄教授は『武蔵野をよむ』で独歩の『武蔵野』だけに焦点を当てるのではなく、独歩の日記、さらには武蔵野の風土にも焦点を当てて果たして”武蔵野”とは一体なんぞや、というのを解き明かそうとしているのです。

かつて、萱原の野が何処までも広がっていた乾いた大地の武蔵野はいかなる経緯で林ができ、水脈が広がり、田畑ができ、人々が移り住み着いたのか。

独歩が発見した明治の武蔵野の美。なぜ独歩はその風景を文学として世に発表しなくてはならなかったのか。その答えがすべて本書にあるのです。 

赤坂憲雄教授の『武蔵野をよむ』をまず読んでもよし、国木田独歩の『武蔵野』先に読んでも良し。どちらを読んでもかつての武蔵野を感じられる事間違いなし。これを読むと武蔵野の今の美とは果たして何だろう、という疑問が浮かぶかもしれない。その答えはきっと武蔵野台地の何処かで見付けられるのを待っているでしょう。それを見つけるのはあなたかもしれません。

2020年9月7日月曜日

完司さんの戦争


おはようございます。今日は、好むと好まざるとにかかわらず、不条理にみながまきこまれる。そんな戦争の時代を生き抜いた、完司さんというひとりの青年のお話です。どうぞ、ご一読ください。

『完司さんの戦争』越智典子/著 コルシカ /イラスト 偕成社

1922年に新潟で生まれた完司少年は、外国へのあこがれから満州で働くことを選びます。

しかし、楽しかった満州でのくらしは、召集令状によって終わりをつげました。釜山から出発し、戦地であるグアムへ行くことになったのです。

到着直後の攻撃で左足を失ったあと、米軍の上陸により、完司さんはジャングルの中でひとり生きていかなければなりませんでした。

食料をなんとかして手に入れ、切りっぱなしの足を川や海で洗い、這いずるようにして移動する生活(完司さん曰く、カメ生活)がはじまりました。持ち前のポジティブさと聡明さを生かし、ジャングルの中で400日を生き抜いていきます。

そんなサバイバル生活やその後の捕虜生活のことを、楽しかったこともあったと、ひょうひょうと語る完司さん。でも、戦争に行って帰ってくるまでの時間は自分にとって「この世にない時代」だったといい、最後にふと、こうもらします。

「戦争は、あの若い、いちばんいい時期を奪ってしまったのですよ。今ほしいものがあるとしたら、若さです。あの体力と機敏さがあったら、あれもこれもするのに、と思いますよ。」

好むと好まざるとにかかわらず、不条理にみながまきこまれる。そんな戦争の時代を生き抜いた、ひとりの青年のお話です。

朴訥とした完治さんの語り口は親しみやすく、その体験も読者の胸に迫る思いがするのではないでしょうか。

内容は想像を絶するけれど、この本のポップなイラストや作りが、完司さんの体験を続けて読んでみようとYAを誘います。

2020年9月6日日曜日

ハジメテ ヒラク


おはようございます。今日は、私立中高一貫校に入学した中学1年生の女子が、生け花を通して、本当の自分を出せる友だちができる青春ストーリーです。お楽しみください。


『ハジメテ ヒラク』こまつ あやこ著 講談社

主人公は私立中高一貫校に入学した中学1年生の綿野あみです。一人っ子のあみは、いとこの早月ちゃんに憧れて、早月ちゃんが通っていた私立校に入学します。

しかし、クラスの中の人間関係でギクシャクしてしまいました。

そんなあみがひょんなことから勢いで生け花部に入部することになります。

ちなみに、あみの趣味は脳内実況です。それはこんな感じです

『おはようございます。実況はわたし、出席番号三十三番、綿野あみがお送りいたします。』

生け花部の部員は4人、笑わないでルールに厳格な部長、ルールを堅苦しいと思っている先輩女子、無口な同級生。バラバラな4人ですが、あみはそれぞれの個性の良さを発見していきます。クライマックスは文化祭での創作生け花の発表。あみ自身は「特技」で部員の生け花を応援します。

ユーモラスで爽やかなテンポの良い、青春小説です。

著者のこまつ あやこさんは、自由の森学園が開校した1985年生まれ。大学卒業後、公共図書館で司書として勤務した後、私立中高一貫校に司書として勤務。2017年『 リマ・トュジュ・リマ・トュジュ・トュジュ』で講談社児童文学新人賞受賞しました。本書が2作目です。

※『 リマ・トュジュ・リマ・トュジュ・トュジュ』・・・タイトルはマレーシア語で「五七五七七」の意味で、短歌を意味します。マレーシアから帰国して中学2年に編入され、帰国子女であることで変な目で見られないか気にする毎日の少女が、突然、「督促女王」と呼ばれている図書委員の先輩に「吟行」(散歩しながら歌を作る)に連れだされ、マレーシア語を交えた短歌を作り、感心され、それから週一回の吟行が始まり・・・、主人公の少女が先輩や家族や友だちの思いに触れ、自分を取り戻していく・・・という物語です。