
おはようございます。今日は、高3の武藤平次君、5/15『蛇行する月』9/1『東京百年物語1~3』9/3『東京の空間人類学』9/5『日和下駄』に続いての登場です。東京を闊歩する魅力を伝える『お散歩シリーズ』の番外編です。平次君、連続寄稿、ホントにありがとう!すごいなあ、引き込まれます。皆さん、どうぞ、ご一読ください。
『武蔵野をよむ』赤坂憲雄/著 岩波新書
今回は番外編です。番外編には東京ではなく武蔵野を取り上げます。
いや、待て、武蔵野だって東京だろ、とそういう声が聞こえてきそうなので初めてに釈明しておきます。
無論、武蔵野というのは東京です。しかしながらより正確に述べると東京の一部なのです。武蔵野台地は実に広いため東京だけでは治りません。神奈川までは行きませんが埼玉県の一部も武蔵野に入るのです。例えば狭山、秩父、そして小手指。埼玉と東京に横たわる扇状型の大地、それが武蔵野なのです。ちなみに武蔵野の東側の終点は不忍池です。(詳しくは第二回に紹介した陣内秀信教授の『東京の空間人類学』をご覧ください。)
私が今回、”番外編”と銘打ったのは武蔵野台地が埼玉県にも掛かってしまうからです。そうするとこのお散歩シリーズの題である『東京の空の下』と微妙に違ってきてしまうからです。
郊外の散歩も良いものです。乱立するビルの喧騒から少しばかり離れて静かな雑木林の間を抜けながら何処から吹く風を体に受ける事もまた乙なものです。今回紹介する図書はそんな郊外の美に気付かせてくれる様な本です。
岩波新書から出ている赤坂憲雄教授によって書かれた『武蔵野をよむ』。赤坂憲雄教授は現在、学習院大学日本語日本文学科の教授であり東北の風土や伝承を学ぶ”東北学”という新たな民族学を打ち出した教授であります。そして株式会社KADOKAWAから出版されている『武蔵野樹林』で武蔵野の風土や伝承を調べ新たな学問である”武蔵野学”を築こうとしているのです。
『武蔵野を読む』では明治の文豪、国木田独歩が書いた短編小説『武蔵野』を武蔵野の風土、国木田独歩の個人的背景、その双方から論じています。独歩の『武蔵野』というのは日本近代文学の発展において目覚ましい貢献をしている秀作でありますが、その全容を『武蔵野』のみに求めてしまうと中々分かりづらい作品でもあります。ただ武蔵野の豊穣な風土が讃美歌の如く縷々と綴られているのです。赤坂憲雄教授は『武蔵野をよむ』で独歩の『武蔵野』だけに焦点を当てるのではなく、独歩の日記、さらには武蔵野の風土にも焦点を当てて果たして”武蔵野”とは一体なんぞや、というのを解き明かそうとしているのです。
かつて、萱原の野が何処までも広がっていた乾いた大地の武蔵野はいかなる経緯で林ができ、水脈が広がり、田畑ができ、人々が移り住み着いたのか。
独歩が発見した明治の武蔵野の美。なぜ独歩はその風景を文学として世に発表しなくてはならなかったのか。その答えがすべて本書にあるのです。
赤坂憲雄教授の『武蔵野をよむ』をまず読んでもよし、国木田独歩の『武蔵野』先に読んでも良し。どちらを読んでもかつての武蔵野を感じられる事間違いなし。これを読むと武蔵野の今の美とは果たして何だろう、という疑問が浮かぶかもしれない。その答えはきっと武蔵野台地の何処かで見付けられるのを待っているでしょう。それを見つけるのはあなたかもしれません。