2020年9月11日金曜日

東京の空の下 4

 











今日は、高3の武藤平次君、5/15『蛇行する月』9/1『東京百年物語1~3』9/3『東京の空間人類学』9/5『日和下駄』9/8『武蔵野をよむ』に続いての登場です。東京を闊歩する魅力を伝える『お散歩シリーズ』の4回目です。平次君、連続寄稿、ホントにありがとうございます!皆さん、どうぞ、ご一読ください。本日は、森鴎外の・・・。

 『青年』森鴎外/著 新潮文庫

 ヘイジです。早いものでもう第四回目の様です。今回紹介する一冊は私を散歩の世界へと誘った小説です。日本を代表する文豪である森鴎外の『青年』であります。この本は現在、岩波文庫と新潮文庫双方の出版社から発売されていますが私が初めて購入したのは新潮文庫版である為そちらを基調として話を進めていきます。

この小説は1910年の3月から同年の8月まで雑誌『スバル』に連載されていました。どうやら鴎外は1908年に連載を開始した夏目漱石の『三四郎』に触発されて『青年』を書き始めたそうです。故に『三四郎』と同様に田舎から上京し何処まで行っても尽きる事ない東京という街を主軸に物語が展開していくのです。鴎外の『青年』も漱石の『三四郎』もジャンルでいえば純文学に属します。然し、更に細かく分類して行くと”教養小説”というジャンルに分けられるのです。”教養小説”とはあまり聞き馴染みのないジャンルかもしれませんので一応説明致しますとドイツで発祥したジャンルであります。主人公の肉体的・精神的成長をテーマにした物語形態です。例えばゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』やトーマス・マンの『魔の山』も教養小説です。

『青年』のあらすじは以下の通りです。

田舎から上京して来た作家志望の青年、小泉純一は著名な作家である大石狷太郎の元へ弟子入りを志願するために彼の家を訪れる。その帰りに偶然に画家志望の幼馴染、瀬戸速人と再開する。瀬戸と共に様々な芸術家が集まる青年倶楽部へと行き、ある文人の文学論を聞く。その集いで出会った医学生、大村という男と親しくなり、ある日二人で帝国劇場に行くことになった。劇場にて偶然知り合った坂井未亡人の事が忘れられなくなってしまった純一は坂井未亡人を追って箱根に行ってしまう。再会したのは良いものの坂井未亡人は岡村という画家と一緒にいたのだった。

『青年』の面白味はストーリーだけではありません。鴎外の文学論や哲学論を知ることができるのです。更に細やかな悪戯心も垣間見えます。例えば小泉純一は序盤に千駄木の長い坂を登りながらある屋敷の中を覗きます。その屋敷の主は毛利鴎村という男です。鴎外自身なのです。そしてその鴎村を主人公こう評しています。

「干からびた老人の癖に、みずみずしい青年の中にはいってまごついている人、そして愚痴と厭味を言っている人」

鴎外の他にもたくさんの人物をパロディして登場させています。大石狷太郎は小説家の政宗白鳥をモデルに、医学生の木村は詩人の木下杢太郎をモデルに、そして途中主人公達の前で文学論を披露する平田拊石は夏目漱石をモデルにしているのです。

この小説は第一回で紹介した『東京百年物語』の様に実に様々な地名が登場します。本郷、上野、根津等々。鴎外の秀でた文体も相まってとても広がりがあるのです。非常に簡素にその地名が書かれているのですが、容易にその場の映像が頭に浮かんでくるのです。これを読んでしまうとその登場した場に訪わずにはいられなくなります。そして実際に行ってその場を見てみると、東京の街が一際味わい深くまた、煌めいて見えるのです。『東京百年物語』と異なる点はこの小説が一人の青年の成長を描いた教養小説であるという点です。

 物語の主人公は一人の青年であります。恋というものに惑い、生というものに懐疑の念を抱き、自らの行末に曖昧模糊とした疑問を抱きつつ日々を歩んでゆくのです。その体裁はまるで私や私と同年代の思春期を送る人々と同様なのです。私たちが抱く疑問というものを私達が考え及び得ぬ領域まで深く考察し、それを物語断片として書き記す、鴎外の手腕に驚きを禁じ得ません。